明るいその場に不釣合いな低いトーンで、旧友の訃報を聞いた。
葬儀はすでに終わっており、亡骸はもう灰になっているという。
彼とは小・中学のころによく遊んだ。お互いの家に行き来して、日が落ちるまでゲームをしたりした。
すでに母親がいなかったわたしは、彼の家で夕食を何度もご馳走になった。
いまはもうない彼の古い家の間取りも温かい食卓も、少し目を閉じればいまでも思い出す。
当時学級委員だったこともあり、訃報を知ったあと、文集をひっぱりだして手当たり次第に電話をした。
地元に残っているひとは多くなく、お盆中ということでみんな忙しい身ながらも、20人近くが集まってくれた。複雑な気持ちを胸に。
10数年ぶりに会うおばさんは、やや疲れているようだったが、当時とほとんど変わりはないように若々しく見えた。父親のいない家庭を支えてきた強さが、おばさんの原動力なのだと思う。
それでも、焼香を終えたあと、色んなことがこみあげてきたのか、みんなの前で涙を見せた。
みんな泣いていた。
おばさんは昔から理髪店を営んでおり、父もわたしもよくお世話になった。
帰り際、「また今度、髪切ってもらいにくるね」と言い残して家をあとにした。
おばさんは、車が走り去るまで、ずっと玄関で見送ってくれた。
小さく、小さくなるまで。
不謹慎だと思うだろうが、こんなとき、わたしは無性にセックスがしたくなる。正直なところ相手は誰でもよく、ただ体を重ねていたくなる。
覆われるような死の匂いを払拭したくて、セックスすることで生きていることを実感したいのだと思う。それはオナニーでは代用できないこと。
「未亡人が男を求める」という俗諺は、きっと当たっている。
でもそれは肉欲からではなく、愛する人を失ったことによる虚無感や、死への恐れからなのでは。
おばさんは、仕事を明日にでも再開する。
喪失感を、忙しさで隠してしまうためだ。
「息子が亡くなったのに、もう仕事できるなんて」
そういう会話が聞こえてこないことを、心から祈っている。
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