ひとりでラーメン屋で食事をとっていました。元々ひとりで食事をするのが好きなのでそれ自体は寂しくもないのですが、なんだか考えることが色々とあってちょっぴりおセンチな気分に浸っていました。
スープすすりながら遠くを見つめるってのもあんまり画にならないですけどね。カウンターの端のほうから「 これ。あちらの方からです。 」なんてお冷が出されたりしないですけどね。
そのあとコンビニに寄ったんですが考え事はまだ続いていて、代金が637円なのになぜか10637円払ってました。レジの女の子が戸惑ってました。
「 一万と六百三十七円お預かり・・・えっ!?一万?・・・ 」
そのときの彼女の驚いて一瞬体が固まってしまった様がなんだかおかしくて思わず笑みがこぼれました。
一時は心の中に確かにあったはずの好意はなぜ消えていってしまうのだろう。
ひとは変わっていく生き物なのになぜ永遠なんて言葉をつくったのだろう。
最近よく父の夢をみる。朝起きると決まって涙を流していて、かなしい気分で目が覚める。
内容はよく憶えていないけれど、ひどく自分が無力な気がして切なくなる。ボクはいったい何をやり残して悔いているんだろう。
神様の存在なんて信じてはいないけれど、もしも神様というものがいてこの命と引き換えに今は亡き愛すべき人たちを生き長らえさせることができたなら、ボクはよろこんで捧げただろうか。
家族ならどうだろう。友だちならどうだろう。細く関係を持つひとたちならどうだろうか。
基本的に世の中は平等ではないとボクは思う。
男女平等ではなくやはり男は女を守るものだと思っているし、頑張ったひとと投げ出したひとを同じラインに置くのはおかしいとも思う。
けれど命は平等だ。生命は均等だ。
このひとは長生きするべきだとかあのひとは社会から消えるべきだとか、そんなことはけしてない。
長寿の木々が枯れるまでにひとは何世代も移り変わっていく。去り行くひとたちのもとへ追いつくのはそれほど長くもない。
それまでにボクは父と笑って会いたいと思う。
流すなら嬉し涙がいい。繰り返すなら愛するひとがいい。目覚めるなら明るい朝がいい。
夏かと勘違いしそうな暑さと晴れた空の下、山奥の小さな火葬場で、トムくんは灰になった。
ごはんをねだって鳴くこともなくなったが、嬉しくてしっぽをぶんぶん振ることも、もうなくなった。
数日前、帰宅してからすぐに異変には気づいた。しっぽは振っているけれどその場から動かない。動けない。ぱんぱんに張った腹水のせいで。
獣医から定期的にもらっている薬は一週間ほど前から効果がなくなってきていた。膨れるばかりのお腹のせいで、もはや自力で歩くことができなくなっていた。
呼吸も少しずつ荒くなり視点もおぼろだった。もうそんなに頑張れないと感じて、夜冷えのするなか妹くんと二時間ぐらいずつ交替でそばにいて時折体を撫でてあげた。その夜はなんとか乗り切れた。
翌日仕事を早退させてもらい、犬小屋に布団を敷いてトムくんに添い寝をしながら時を過ごした。痙攣や嘔吐を繰り返し苦しみながら、五時間後、一声も発することなく静かにそこから去っていってしまった。体にはまだ温もりがのこっているというのに。
ペットとというものははたして幸せなのだろうか。そんなことを考えた。とくに我が家のように日中は誰もいない家庭の場合、その間何を考えて何を思うのだろう。
言葉が通じる人間同士でさえ意思疎通はままならないのに、他の動物たちの感情を理解することはとても困難だ。だから十分に生きれたんだと信じるしかない。
遺骨は持ち帰って庭のどこかへ埋めよう。
ペットを飼うのはもうやめよう。
二軒隣の飼い犬の声が、やけに耳に痛い。
栄養ドリンクってみなさんは飲んだことあるでしょうか。
ボクはたまに飲むことがあります。仕事に疲れたときとかどうも食欲がないときとか今日は朝まで寝かせないゾっていうときとか。寝るけど。
ほんとに効くのかどうかはともかく、自己暗示みたいなもんで飲んだらなんだかやる気がでてきますよね。ボクって単純ですし。
先日コンビニで買い物をしていたら、小学生か中学生ぐらいの男子が3人つかつかと入ってきてそのまま栄養ドリンクの陳列棚に向かい、目当てのドリンクを手に取ると当たり前のようにレジに差し出しました。
栄養ドリンクなんてもの飲むようになったのは二十代半ばぐらいになってからだったので、ちょっとばかし興味を持ったボクは外に出たその三人の横でタバコをふかしながら耳をかたむけていました。
「 …なんかさぁ。自由な時間てないよなー。 」
「 ほんとだよなぁ。オレなんて日曜日も塾に行くことになっちゃってさ。なんか字ばっかし見てて逆にバカになってく感じする。頭いてぇし。 」
「 あ、オレも。 」
「 こうさ。どっか遠くに行って、思いっきり遊びてぇよ。 」
「 遠くかぁ。。。 」
なんだか居たたまれなくなったボクは心の中で『 少年たちよ。勉強も大事だけどオナニーもちゃんとやっとかないと大人になってから苦労するぞ。 』とエールを送りながら、ちょっとばかりブルーな気分になってその場をあとにしました。
学ぶことは大事だし必要なことだけれどそれはあくまでも目標とやる気があってのことだから、少年たちのように縛られて学んでもつらいだけじゃないかと思う。
大きくなったらきっと感謝する。などと大人たちは言うけれど、感謝している大人になった子供たちにお目にかかったことがない。学びたいと思ったときに学びたいことを学ぶのが一番いいんじゃないだろうか。
知識を豊かにすることより心や感性を豊かにすることのほうが何倍も大事だ。と思う。
友だちを通して知り合ったひとつ下のSというひとがいる。彼は東大を卒業後某有名企業に就職したが一年足らずで退職し、いまは小さなパン屋さんで下積みをしながらいつか自分の店を持つために頑張っている。
そんな彼が以前少し酔いながらこんなことを話してくれたたことがある。
「 小さいころからパン屋になるのが夢だったんだけど、親に反対されて押し付けられるように勉強させられてた。そんなバカな仕事なんかやるなって。 まぁ、おかげでそれなりの会社に入ってそれなりの金をもらえるようになったけど、毎日が息苦しくて仕方がなかった。 でもいまは違う。金もないし仕事もきついけど、自分の夢にむかってるんだって思うだけで毎日がすごく楽しい。 ただ、大学時代とか会社にいた期間とか、自分はなんて無駄な時間を過ごしたんだろうって時々後悔する。もっとはやく親を押し切ってでもやりたいことをやってればって。 」
目を閉じて自分がいましたいことを思い浮かべる。それがいまの環境ではできないものならば、いまを壊してでも変わらなくてはいけない。
藤井フミヤが40歳だということを聞き、ちょっとばかりショッキングな桜井です。あんなにかっちょよく歳をとるためには、リボピタンDをいったい何本飲めばいいんでしょう。
リポピタン? リボビダン? リポビダン? モグタン?
先日買ったソファーとカーペットが日曜日に配達されるので、部屋の掃除や配置替えをしました。
こうしてみると意外に広い。いかに普段ごちゃごちゃといらないものが散らかって置いてあるかよくわかる。貯金箱の隣にローションがあること自体おかしい。
使わなくてもどんなに古くても、捨ててしまうことができないものが誰にでもある。
驚くぐらいひとは、何もを忘れていってしまう生き物だから、大切なことをふりかえるための鍵として物を残しておく。
全てが全ていいことへ繋がるものばかりじゃないけれど、ちょっとした苦さや哀しさや切ないものだって、自分にとって失くしてはいけないものだって知っている。
捨ててしまうことは簡単だけれど、それが何でも再び拾い集めることは難しい。
ボクは、キミやあなたや彼や彼女の様々な切れ端を抱えて生きてゆきたい。
だから何かひとつでもここへください。
ゴミ箱へ捨て去るようなものでもあなたの音がする。
詩や小説を書いていると、自分のブラインドタッチの遅さや文字を書く遅さに苛々してくる。
頭の中で流れる物語はどんどん進行していくのに、それを表面化する速度が追いつけない。語学力のなさもそうだ。
いつも待ったをかけて、空想にスローダウンしてもらう。そうこうしているうちに時間ばかりがたってしまって、せっか浮かんだ旋律やひらめきがどんどん抜け落ちていく。
二十歳ぐらいのころだったと思う。寝ようとする瞬間になると、言葉が溢れてどうしようもない時期があった。
枕元には紙と鉛筆を常備しておくのだが、目を閉じると浮かんでくる言葉を書きなぐり、また目を閉じて、また目を開けて…
そんなことを繰り返していくうちに、昇りかかる朝日の先端が窓から滲んでくる。睡眠時間は2時間くらい。そんな日々が一ヶ月ほど続いた。
不思議と、日中に眠気を感じたことはなかった。
いまでもたまにそんなことがある。でもそれは数十日に一日ぐらいの割合でしかなく。それが寂しいし怖いと思う。
老いていくことは仕方がない。体力や知力が磨り減っていくことは、どうやっても避けられないこと。
けれど、以前は確かにここにあったはずの感性が薄れていくことは、自分が崩れていくようで怖い。
「 なにやってんの?誰だおまえ? 」そう、昔の自分に言われるようになる時が、いつかきてしまうかもしれない。
なるべくその時が先になるように、いまはただ、ハングアップするまで動こうと思う。限界にならなければ限界はわからないから。
いつになく、センチメンタルジャーニーな桜井でした。
「 この瞳がシャッターだったら。 」時々そんなことを願うことがある。女子高生のパンチラが見えたときや巨乳ちゃんのブラチラが見えたときはもちろんそうだけど、帰宅途中に眼前に広がる夕焼けに遭遇したときや、小さな子供が飼い犬とじゃれあってる様を見ていると、いまここにカメラがあったらなぁと思う。
ひとの記憶はとても曖昧で、時が経つにつれて美化されたり劣化したり欠けたりする。不思議と、嫌な思い出や光景はいつまでも脳裏に残るのに、楽しかったことや感動した場面が徐々に薄れていく。それがかなしい。
だから写真を撮ったり、紙やこうした場に書くことでいまを残しておく。どれもこれも大切なもの。
記憶は脳に残る。普通はそうだ。でもそうともいえない事例も数々ある。人体って奥が深い。
心臓移植をうけたら、提供者の生活や関係者が夢にでてきたという話。角膜移植をうけたら、それまでとは人に対する見方が全く違ってきたという話。他にも色んな話がある。
どこに記憶が残っていくにせよ、この目で見てこの耳で聞きこの鼻で嗅ぎこの口で味わいこの手で触れたものはすべて、この体のいずこにかは蓄積されていく。それは外からは見えない貴重な財産。
そんな体内財産を増やして豊かになるために、ボクやボクらは生きてゆくんだと思う。
センチメンタムジャーキーな秋の夕暮れより
もしいま北朝鮮から核ミサイルが発射され、あと5分後に確実な死が訪れると仮定する。
その5分間でいったい自分は何をするだろう。
外へ出て、駐車場に寝そべり、空を見上げ、5分間で思い出せるだけの思い出を記憶から取り出して、幸せのため息を残してボクは逝こう。
あぁなんて、悔しさが見つからない。
顔色の悪い空。午後から降り出した雨。
部屋のなかから外をみていると、車へ辿りつくまでの間に濡れてしまうことが否応なく想像できる。それは好ましくはない事実。
傘を差さずにしばらく歩いて、気にしてもしょうがないくらいに濡れてしまえば、雨に打たれるのも悪くはないと、そう思えることがあるのも知っている。
オトナになってしまうということ。
靴が泥まみれになるのを気にすること。
出掛けにセットした髪型が崩れるのを嫌がること。
体が冷えて風邪をひくのではないかと考えること。
それを見る他人の目を気にすること。
「今」を楽しむことにかけては、到底子供には敵わない。
ただ楽しいから雨に濡れ、わざと水溜りに入り、傘を逆に広げ水をためて喜ぶ。
オトナになってはできないこと。オトナになってはできないと思い込んでいること。
楽しさや、楽しみ方は、ほんとはそこらじゅうに転がっているのだけれど、ただそれに対して「オトナ」という立入禁止の看板を突き立てているのかもしれない。
たった一枚の板切れを。
たとえばいま、胸ポケットやバックのなかにあるであろう携帯電話を取り出して、1 1 0 と押してみる。
知っているだけでかけたことがない、あのひとの番号でもいいだろう。
そしてそのときのドキドキが、ここ最近で何回ぐらいあったか思い出してみてほしい。
さみしいくらい、少なくはないですか。
先日、携帯電話を失くしてしまったのですが、携帯を失くしたときって、こう思いませんか?
「 カッコイイ男のひとが拾ってくれないかなぁ。 」
「 カワイイ女のひとが拾ってくれないかなぁ。 」
どうでしょう。思ったことはないでしょうか。
インターネットがこれだけ普及しているのは、たくさんのひとが出会いを求めているからだと思う。
それはけして男女関係に限ったことではなく、友だちや話し相手を欲しているから。
学生のころであれば、隣のクラス、駅が同じ学校、部活で知り合う他校など、出会いの機会はそこそこある。
しかし社会に出てしまえば、よほどアクティブな職業でないかぎり、出会いの場は社内に限られてしまう。あとは、学生時代の知人の繋がりや、合コンでもしないかぎり出会いのチャンスは数えるほどしかない。
これから先、果たして新しい出会いはどれくらいあるだろう。10人?20人?
だからボクは、『 ナンパ 』というものはアリだと思う。
セックス目的のナンパはおいといて(それはそれで構わないと思うが)、素敵な人物に巡り会ったときに、知り合いになりたくて声をかけるのは悪いことではない。
偶然の出会いって、得てして稀だからだ。
そこで提案というか、全国的に浸透して欲しいと思うのは、『 同性ナンパ 』である。
たとえば仮に、ボクがいま街で見かけた男性に声を掛け、多少話したあとに電話番号でも訊いたとする。そのとき相手はどう思うだろう。「 なんだこいつ。ホモか?ゲイか? 」と、まったく思われないと言い切れるだろうか。
同じようなビデオを借りているひとを見かけ、映画の話題がしたくて声を掛ける。
家電ショップのカメラコーナーで色々な部材を買っているひとに、写真についての知識を聞かせて欲しくて声を掛ける。
ゲームセンターのカーレースですごく上手なひとを発見して「相手してくれませんか?」とお願いしてみる。
『 ナンパ 』という言葉の意味と範囲をもっと広くして、そして、シャイな民族と言われる日本人の性格が少しでも変わることができたら、もっともっと出会いは増えていくのではないだろうか。
たくさんの友だちがいてこそ、ほんとに大切な友だちは誰かということが見えるようになるはずだから。
携帯を失くしたときに、誰かに連絡したくても誰の電話番号も覚えていないことに気づいた。
そのあと無事に見つかったのだが、今回のときのようなときことを考えて、何人かの電話番号を控えておこうと思いアドレス帳を探していたら、かなり昔のボロボロのアドレス帳が出てきた。
なかには、ボクの字ではなく、明らかに本人の字で書かれているものがあって、すごくそのひとを身近に感じた。
結局ひとは、デジタルよりアナログに行き着くのかもしれない。
「 今日、お墓参りどうする? 」
そう言われて、はっとした。
そうだ今日が命日だった。
妹にメールをして、今日は家に居るように伝えた。
用事を片付けてから家に帰るとすでに夜。
真っ暗な墓場を、懐中電灯をかざしながら歩いた。
誰か供えていったビールの缶を見て、お酒が好きだった父の顔を思い出す。よく、テレビを見たままコタツで寝ていたっけ。
両脇に花がちょんと挿してあって、夜ということもあり寂しさが胸にくる。
大丈夫。ふたりで仲良くやってます。
忘れゆくことは切なく、それでも月日が記憶を薄め、気づけば何日も顔を思い出していないことに驚く。
人間というのは、なんてうまく悲しくできているのだろう。
あまり夢をみないわたしですから、出番はそんなにないと思いますが、たまには顔をのぞかせて、幻でも一家団らんするのもどうでしょう。
帰るまでに何度も振り返ったのは、きっと理由があったのです。
近くの集落に住む老人が行方不明になって、捜索協力の要請がきた。
70歳を過ぎたおばあちゃん。一人暮らしをしていた。
消息が途絶えてから、三日が経つ。
集まった警察官と消防団員の前で、息子さんが涙ながらに懇願していた。
同情しながらも「なんでそんなお年寄りに、一人暮らしをさせていたの?いっしょに住まない理由でもあったの?」という気持ちもわいてきていた。
それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるわけだから、他人がとやかく言うことではないのかもしれない。でも、自分が歳をとってから、家にひとりで家族と離れ住むのは、とてもさみしいことだろうと思った。
「若さ」がいつまでも続くことではないのは、誰でも知っている。
そしてそこで選択をするのだ。
いまある若さを、とにかく存分に楽しむこと。
若さの先にある老いを、考えながら生きること。
そのどちらかを。
良否の判断はともかく、どちらかと問われれば、わたしは明らかに前者のほうだ。
人生のパートナーにするにはかなり不適。キリギリスみたいな生き方。
計画性がなく夢見がち。(ロマンティストといえば聞こえはいいが)
考えれば考えるほど、独身ヤモメのエリートコースを、順調に歩いているような気がしてくる。どっかで逸れないと。
結局おばあちゃんは、警察犬やヘリコプターまで出動して捜索したが、見つけ出すことはできなかった。たぶん休日も、捜索を続けることになるだろう。
一度も会ったことはない他人ではあるが、なんとか無事に見つかって欲しい、と、仏壇上の祖母の顔を見るとそう思う。
充分に生きたかどうかを決めるのは、年齢ではなく魂の貯蓄度だから。
ほとんどのひとが知っていると思う、2ちゃんねる。
過去に二度だけ、サイトを訪れたことがある。
一度目は、公開している写真を中傷するような書込みがあるという連絡をもらって、どんなことが書かれているのか確認しにいったとき。
(モデルさんに対してとてもひどいことが書かれてあった)
二度目は、アクセス解析を辿っていったときだ。
そこには、写真を公開しているたくさんのサイトの、批評とか難癖がずらずらと書き綴られていた。
そのなかにネバブラの話も出ていて、写真を撮るのが下手くそだとか、モデルがかわいくないだとか、散々なことを言われていた。
そして、そんな輩たちに怒りが沸いてくるなかで、こんな救いの書込みがあったのだ。
「 桜井さんの悪口言わないで! 」
あの書込みを見つけたときほど、ネットをやっていて嬉しいと思ったことはない。それほど嬉しかった。応援してくれているひとがいるって、すごくありがたいと思った。
なんだかよくわからないハンドルネームだったし、メールアドレスも書いてなかったので、誰だったのかはわからない。
あれからだいぶ経ってしまったけれど、いま改めてお礼を言いたい。
ありがとう。
直リンク。画像やファイルそのもの。
サイトを運営していくうえで、経験したひとは多いと思う。
ネバブラも、直リンクされることはしばしばある。とくに写真素材。
以前の日記でも一度取り上げたことがあるが、ひどいのは、素材のアドレスや名前を替えても直リンクされたままであるということ。エラーログに永久に書き込まれ続けるのだ。
サイト上に注意文を載せたり、直リンクされている画像を変な画像とすり替えたり、色々と試してみたが効果はなかった。ほんとにイヤになる。
かといって泣き寝入りするのもイヤなので、ちょっとした意地悪をすることにした。それは、サイズの大きなファイルを、直リンクされている画像のファイル名でアップすることだ。ひとつのファイルで10MBを軽く超える。
こういったことを含めて、個人サイトを運営していくと様々な闘いを強いられることになる。掲示板荒らし、メールストーカー、某掲示板サイトでの非難や中傷、水面下での見えないバトル。
本来なら、ゲストと楽しくコミュニケーションをとれるはずである場所に、現実でのどろどろとした人間関係が入り込むのだ。
テレビ電話がなかなか浸透しない理由に「相手が見えるから」ということが挙げられる。これは利点でもあり、欠点でもある。
恋人に電話をするのには、身だしなみを整える必要があるだろうし、上司に仕事の電話をするのに、ラブホテルからというのもあまりいただけない。
自分の状況が相手に知られないことが電話の利点であり、知られないからこそ、多少の嘘や真意を話すことができるのだ。
ピンポンダッシュや怪文書の件数より、ワン切りやいたずら電話の件数のほうがはるかに多いのも、こういったことが関係してくる。
これは裏を返せば、自分の匿名性が増すほど、ひとは自由に行動するということになる。ネット世界はそれの典型ともいえるだろう。
普段から感情を隠すことなく、ありのままの自分で生活しているひとより、感情を押し殺して生活しているひとのほうが、匿名性のある世界では隠れた自分を露出させる。
それがエスカレートしていくことで、どんどんネットに依存していくようになってしまう。ネット上でなければ本音を表現できないからだ。
ネット上で知り合ったひとと実際に会ったときに、「イメージと全然違う。」と言われるより「イメージ通り。」と言われるほうがわたしは嬉しい。
オンライン、オフライン、などと例えるけれど、本当に繋がりを求めなくてはいけないのは、オフラインのほうこそではないかと思う。
クリーニング屋はたまにしか利用しないのだが、行く店は決まっている。
お目当てはそこの看板おばあちゃん。言うまでもないがそっちの気はない。
おばあちゃんは、たぶん70歳とちょっと。白髪に曲がった背中。お世辞にも機敏とはいえない動作。
なのだが、暗算スピードはかなりの一品なのである。
はっきり言って、昨日行ったコンビニSの店員よりはレジの手際はいい。おばあちゃんを見習ってほしいくらいだ。
もしかしたら、レジの打ち間違えよりおばあちゃんの暗算のほうがミスが少ないんじゃないか、という妙な安心感。そこに「ベテランの技」を感じる。
長い歳月で培われた、おばあちゃんの脳内における前頭葉と視床下部間のシナプスの流れは…(中略)…であろう。うーん。素晴らしい。
最近そのクリーニング屋さんに行くと、店内に掲示された料金表を見ながら、おばあちゃんと暗算勝負を(勝手に)しかけている。
もちろん、まったく歯が立たない(笑)
なにしろ
「スーツ上下とスラックスで○円になります。」
と、答えが文章の流れになっているのだから相手になるわけがない。さらに付け加えると、それにはちゃんと消費税が加算されているのだ。
なんでもいいから、年老いても褪せることのないものを持ちたい。
そのころになったら(たぶん)生まれているであろう孫に、「すげー!おじいちゃんかっこいー!!」と言われる、という夢をひとつ加えて。
生命保険の捺印に使った印鑑が見当たらなくて、家中の大捜索をした。
その途中、ひとつの見慣れないセカンドバッグを見つけた。
父のものだ。
父の遺品を整理しているときに、捨てられないようなものをとりあえずこのバッグに放り込んでおいた。それ以来だから、かれこれ5年以上もそのままにしておいたということになる。
好奇心に駆られて、バッグを開けてみた。
なかにあったのは、医療機関関連のカードや、アドレス帳、財布など。
それらをひとつひとつ眺めていると、アドレス帳に、写真が二枚挟まっているのを見つけた。女性の写真だ。
色々記憶を思い返してみたが、わたしの知っている父の知り合いの顔のなかにはいない。いったいどういった関係のひとなのだろうか。
そういえば父の通夜の席で、友人のひとりがこんなことを言っていた。
「おまえのオヤジが入院する二週間ぐらい前、女連れておれんち来たことがあったんだわ。そんときはお茶飲んですぐ帰っちまったけど、あとから話聞いたら、結婚するかもしれんとかなんとか言ってたぞ。」
「その女のひとは、知ってるひと?」
「いや。」
「名前とか言ってなかった?」
「わからん。なんも訊いてなかったわ。」
この写真に写る女性は、生前父が付き合っていたひとだろうか。
写真はどちらも、女性がひとりだけで写っている。ただの知り合いならこんな写真を持っているだろうか。
写真が挟んであったページには、女性の名前と電話番号の書いたメモ用紙も残されていた。
なんだかわけもなくドキドキしてくる。
もし父の時間があのときで止まっていなかったら、いまこの家にこの女性がいるという可能性があったかもしれないのだ。
父はわたしとはまったく正反対のひとで、酒はよく飲むし几帳面だし綺麗好きだし女性関係は真面目だし。
母が家を出てから、ずっとひとりで家を支えていた。
そんな父が、想いをよせた(かもしれない)女性に、一度会ってみたと思った。会って、わたしの知らない父の姿を知りたいと思った。
でもいまさら彼女に連絡をとったところで、迷惑がられるだけかもしれない。そっとしておくほうが、きっといいのだ。
写真は再びバッグのなかにしまいこんだ。
もうひとつ、発見があった。
財布の中に昔の紙幣が入っていたのだ。
五千円札、千円札、五百円札、百円札、、、。
以前、小物入れのなかに、たくさんの切手とテレホンカードがあったのにはびっくりしたが、まだこんな隠れた趣味を持っていたなんて。
意外と父には、コレクター癖があったのかもしれない。
ただ、紙幣はどれもしわくちゃなものばかりで、これでは保管しておいてもきっと価値は上がらないだろう。
父の残念がる顔を想像して、ひとりでにやけながらバッグを元の場所に戻した。
そうそう。印鑑を探さなくては。
出張や旅行などで、一週間程度家を離れ、そのあと家に帰ってくるとほっとする。住み慣れた街で車を走らせ、見慣れた景色をみると肩の力が抜ける。
我が家が一番、という聞きなれたセリフ。
そういう”生まれ育った街”のような存在になれたら、素敵だなぁと思う。
張り詰めた日々が続くとき、電話をかけて声を聞くだけでほっとする。
泣きたいとき苛々するとき、何も話さなくても顔を見れば、不思議と安心するような、そんなひとに。
いつでも傍にいるひと、より、いつでも迎えてくれるひと。
そんなひとになりたい。いや、なろう。
もうそれなりの歳になったことだし、大それた理想でも、ないはずだ。
闘病生活を送っていた叔父が、昨日亡くなった。まだ50にもなっていなかった。
やはりうちの家系は癌家系らしく、叔父も癌だった。
抗癌剤の副作用ですっかり髪のなくなった叔父の顔は、元気だったころと比べると別人のように見えた。
遺影にする写真を選ぶのに、叔父が使っていたノートパソコンに保存してある写真を見ようということになった。
叔父の長男といっしょに、大量の写真を見ながら、写りのいい写真を探す。
旅先での写真、職場での写真、長男のバスケの試合、それらのなかには確かに生きている叔父の姿があり、思わず涙が出そうになる。
そんななか、やっぱり叔父も男で、女性の裸の写真ばかりのフォルダを見つけた。
「すいません、それ削除してください」と、長男。
なにしてんだか、バカなんだから、と言いながら泣き笑いの顔。
それだけで、父と子の愛情を感じた。
死の瀬戸際に触れたり、死そのものを感じると、生に対しての尊さだとか執着心だとかを強く思う。
本当は、常にそれを思っていなければいけないのだが、人はみな鈍感だから、何気なく生きているとそういった気持ちが薄れがちになる。
そして、簡単に命を奪ったり傷つけたりする。
テレビで流れるニュース。どこかの国でテロが起きて何人死んだとか、雪崩が起きて誰と誰が行方不明だとか。正直そんなことにはあんまり関心を持てなくて、チャンネルを回してすぐに別のことを考える。
ほんとに身近で起きた死や不幸にしか、感情移入できない自分がいる。
それが普通なんだ、と言ってしまえばそれまでだけど。
今回の叔父の死で、ひとつ学んだことがある。
それは、パソコンに色んな情報を溜め込んでおくと、自分がこの世を去ったあとにそれを誰かに見られるかもしれないということ。
自分への評判に関するもの。たとえば、エッチな写真とか詩集とかこのサイトとか。そんなのはもう、死んでしまったら関係ないしあまり重要ではないかもしれない。
でも、モデルさんたちの写真や、みんなからもらったメールなど、そういった、他人にまで影響がありそうなものは、誰にも見られないようにしておく必要があると思った。
お盆休みぐらいに、パソコン内の整理と対策でもしよう。
ログインパスワードを間違ったら、アイーン顔が現れるとか。
そんなのみんな、笑ってくれるかな。
明るいその場に不釣合いな低いトーンで、旧友の訃報を聞いた。
葬儀はすでに終わっており、亡骸はもう灰になっているという。
彼とは小・中学のころによく遊んだ。お互いの家に行き来して、日が落ちるまでゲームをしたりした。
すでに母親がいなかったわたしは、彼の家で夕食を何度もご馳走になった。
いまはもうない彼の古い家の間取りも温かい食卓も、少し目を閉じればいまでも思い出す。
当時学級委員だったこともあり、訃報を知ったあと、文集をひっぱりだして手当たり次第に電話をした。
地元に残っているひとは多くなく、お盆中ということでみんな忙しい身ながらも、20人近くが集まってくれた。複雑な気持ちを胸に。
10数年ぶりに会うおばさんは、やや疲れているようだったが、当時とほとんど変わりはないように若々しく見えた。父親のいない家庭を支えてきた強さが、おばさんの原動力なのだと思う。
それでも、焼香を終えたあと、色んなことがこみあげてきたのか、みんなの前で涙を見せた。
みんな泣いていた。
おばさんは昔から理髪店を営んでおり、父もわたしもよくお世話になった。
帰り際、「また今度、髪切ってもらいにくるね」と言い残して家をあとにした。
おばさんは、車が走り去るまで、ずっと玄関で見送ってくれた。
小さく、小さくなるまで。
不謹慎だと思うだろうが、こんなとき、わたしは無性にセックスがしたくなる。正直なところ相手は誰でもよく、ただ体を重ねていたくなる。
覆われるような死の匂いを払拭したくて、セックスすることで生きていることを実感したいのだと思う。それはオナニーでは代用できないこと。
「未亡人が男を求める」という俗諺は、きっと当たっている。
でもそれは肉欲からではなく、愛する人を失ったことによる虚無感や、死への恐れからなのでは。
おばさんは、仕事を明日にでも再開する。
喪失感を、忙しさで隠してしまうためだ。
「息子が亡くなったのに、もう仕事できるなんて」
そういう会話が聞こえてこないことを、心から祈っている。
今朝は強風にあおられて、かつらと理性が飛んでった桜井です。
よーく考えよー お毛毛は大事だよー
飛んでったかつらは右の眉です。(嘘つくと上がるから)
わたしは小さいころから、台風が好きでした。
なんてことを書くと、台風で被害にあった方々からお叱りを受けそうですが、あの、風の音と雨の音、それに揺れてきしむ木や家、そんなのが心のどこかをわくわくさせて、ずっと耳を澄まして聞いてしまうのです。
家庭の事情ってやつで、幼稚園を卒園したころから、ずっとひとりで寝ていました。
ひとつの部屋。ひとつの布団。ひとつの電球。
確かに幼いころから冷めた子供ではあったけれど、やはり暗闇というものは怖くて、色んなことを考えながら不安を消そうとしたものです。
そんな不安をなくしてくれるのが、台風の起こす音や振動でした。
屋根も壁も窓も壊れてしまえば、この小さな空間はなくなって、暗闇をかき消してくれそうな気がしたのかもしれません。
だから台風の時期になると、布団をかぶりながら、眠ることなく胸を躍らせていました。
中学生になると、母屋から離れた倉庫の二階で寝起きするようになり、より一層静けさと暗がりに慣れて、暗闇に対する不安は持たなくなっていきました。
いまでも、誰かといっしょに抱き合って寝たり、友だちと同じ部屋で寝たりするより、真っ暗な部屋でひとりで寝るほうが落ち着くのは、この頃の影響かもしれません。
あれから長い歳月が過ぎて、家も新しくなってしまったけれど、台風が来ると眠るときには幼い日々の夜を思い出します。
いまにも割れそうに震える窓ガラス。家の外を転がっていくバケツ。激しく戸を叩く風の音。
わたしにとって台風とは、興奮を呼ぶ合図であり、懐古の扉を開く鍵のようなものなのです。
わたしには、中学生以前の写真がない。
家を出た母親が持っていってしまったのか、父か祖母が捨ててしまったのか、小さい頃の写真がないのだ。
だから、昔の自分の写真があるひとを羨ましく思う。
とくに、家族団らんの写真などを見せてもらうと、ほろ苦いような、なんともいえない気分になる。
高校のころからはだんだんと写真が増えていくのだが、その中に、家族といっしょに写ったものが一枚もない。
思い出はすべて、記憶のなかにだけだ。
妹がいつか結婚するとき。
そのときはきっと集合写真を撮るだろうから、それがわたし(たち)にとって初めて家族とともに写る写真となる。
だいぶ月日が経ってしまったが、それを最後の一枚ではなく、最初の一枚にしたいって思う。
遠い親戚にあたるおばあちゃんが亡くなった。
風邪で寝込んで、そのまま布団からでることはなかった。
92歳だった。
納棺の儀式の最中に、隣に親子が座っていた。
そして、4歳か5歳ぐらいの女の子が、お母さんにこんな質問をしていた。
「ねぇ、おかあさん。おばあちゃんは、これからどうやってお星さまになるの?」
お母さんは、黙って子供の頭を撫でるばかりだった。
わたしはなぜだか切ない気持ちになって、ただ俯いていた。
形あるものはいつしか崩れ、命あるものはいつしか息絶える。
それが人なれば、血は肉は骨は焼かれ、小さな壷の中へその名残を残すばかり。
心臓の止まりゆく時刻と、その者の生死は同じではない。
存在の有無を決めるのは、その者自身ではなく、その者を思う者こそだから。
おじいちゃん(旦那)も90歳を過ぎているが、まだまだ元気で、訪れたひとたちを出迎えていた。
70年以上もそばにいた愛するひとを失った気持ち。
わたしには想像することすらできない。
帰り道、夜道を歩きながら、玄関先で頭を下げていたおじいちゃんの姿を思い返していた。
明日11時、おばあちゃんは灰になる。
せめて健やかな快晴を、と、星空を見て願う。
もう、10年以上前になるだろうか。社会人になりたてのわたしは、何か趣味を持とうと、以前から興味のあった写真に目をつけた。
当時、デジタルカメラはあまり普及しておらず、選択肢のなかには銀塩しかはいってなかった。
あれこれ悩んだ末、お金を貯めてカメラを手にした瞬間の喜びは、いまだに覚えている。
その後、デジタルカメラが普及しはじめ、どんな感じなのだろうと思って買って使ってみたら、すっかりその便利さに馴染んでしまった。
以後、3台目、4台目と、やはりデジタルカメラを買い続けている。
数日前、探し物をしているときに、銀塩で撮った昔の写真が出てきた。リバーサルフィルムを使っていたので、ルーペで鑑賞することができる。
ちょっとだけ、と思いつつ、しばらく写真を眺めていた。何の変哲もない風景写真を。
懐かしさとともに、得も言えぬ不思議な衝動が湧き上がってくる。
もしかして、すっかり使わなくなったカメラが、また日の目を見せてくれって、メッセージを送ったのかしら?なんて考えてみたり。
ここ数年、ずっとポートレイトしか撮ってこなかったが、また風景写真でも撮ってみようかと思う。
いつかまた、懐かしさを味わうために。
親友くんが結婚することになった。
入籍はもう済ませたそうなので、正しくは”結婚した”だ。
電話で伝えられたとき、嬉しくもあり、ちょっとさみしくもあった。彼女の恋愛模様は、ずっとずっと見守ってきましたから。
連日のように、夜遅くまで仕事で駆け回っていた彼女がいまは、家事をしながらのんびりテレビを見たり本を読んだりという、とてもゆるやかな日々を過ごしています。
その様子を話す声は穏やかで、温かくて、これまでがいかに苦難が多かったかを物語っています。
もちろんこれから先にも難所はあるでしょうけれど、彼女ならきっと乗り越えていけると信じています。
お腹にはもう赤ちゃんがいて、来年の春過ぎぐらいには生まれる予定とのこと。
実は子供があまり好きではない彼女が、いったいどんな母親になっていくのか、想像するだけで楽しくてしかたない。
披露宴は、親族だけの内輪で行うそうですが、わたしともうひとりの友人には出席してほしいと言われました。
当日までの間に、状況が変わって、やっぱり親族だけの披露宴になるかもしれません。
それでもいまこうして、そう言ってくれたことを非常にありがたいと思う。
式は来年。冷たい冬の最中。
きっと快晴になるよう、ふたりを祝いたい。
いまの生活は、とても安定していると思う。
たくさんの友だちと、気さくな同僚。田舎町だけれど、それほど不便でもなく、自然に囲まれた住みよい我が家。
ほどほどの仕事と、ほどほどの給金。平日の夜には麻雀やビリヤードをして、週末にはアミューズメントパークで子供みたいにみんなではしゃぐ。
休日にはゴルフをしたり、ひとりのときは写真を撮って、おいしいケーキショップへと車を走らせる。ストレスなんてこれっぽちも感じない暮らし。
そんな暮らしを捨てようとしている。そう決意してしまった。
週末、別の職場を探して面接に行ってきます。
いまの会社は、来月いっぱいで辞めるつもり。
だいぶ時間がかかってしまったけれど、やりたいことをやろうと思う。それが結果的に良くても悪くても、いまのままじゃきっと後悔するから。
不安と、好奇心と、懼れと、期待と。
きっとそんなものを抱えながら、新社会人みたいにドアを開けるんだろう。
ひさしぶりの面接。緊張しないで落ち着いていこう!と思っていたら、面接官の女性のほうが緊張していて、書類を持つ手がぷるぷる震えてた… こっちまで緊張したじゃないか!(笑)
受けたのは3社。
1社目は仕事内容が希望のものではなく、3社目はレベルが高すぎて体力的に参りそうだった。2社目が一番印象が良かったので、採用通知がきたら入社させてもらいたいと思う。
駄目だったら、週末に2社ほど面接する予定。
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Tという友人がいる。
幼稚園から中学校までいっしょだったが、その後私が家を離れてからまったく交流がなくなり、帰郷してからまた付き合うようになった男友だちだ。
面接を終えて帰宅した夜、ちょっとした用事があってTが家に来た。
そのとき、ちょうど、会社に提出しようと書いていた退職願がテーブルの上に置いてあり、Tに見つかってしまった。
以前から会社を辞めるかもしれないという話はしていたが、Tは冗談だと思っていたらしく、退職願を見て「えー!マジかよ!」とかなり驚いていた。
そして「頼む、行かないでくれ」と恋人のように(笑)引き止めはじめ、さらにSとHに電話をかけ、「重大な話がある」と呼び出した。
SとHも、事情を話すとひどく寂しがってくれて、心から、ありがたいと思った。
とくに、酔っぱらったTは「さみしい。ほんとさみしんだ」と泣きはじめ、わたしはどうしていいかわからず、恥ずかしいやら嬉しいやらで苦笑いするだけだった。
友だちっていいものだと、しみじみ感じた。
住む場所が遠くなると、どうしても疎遠になってしまうもの。
まだ勤め先も住む場所も決まっていないけれど、都内などに住むことになったら、きっと交流も薄れていくだろう。
それでも、こうして心から思いやれる友だちがいたということは、きっとずっと忘れないと思う。忘れないでいたい。
泣き止んだTに「年内じゅうに見つからなかったら、転職するのは諦める」と言ったら、「それがいい!そうすっぺ!」と元気になり、そのあとすやすやと寝てしまった(笑)
その寝顔を携帯で撮って、大事に保存フォルダにしまった。
きっとこの写真を消すことは、生涯ないだろう。
手紙の整理をした。
大量に溜まった年賀状を、捨てさせてもらうことにした。
残しておきたいもの、捨てるものに分類していくと、捨てるもののほとんどが、最近の年賀状ばかりになってしまった。
十代後半や二十代前半のころのものは、そのほとんどが手書きで、今読んでもほっと和むようなたくさんのメッセージが綴られていた。よくわからないイラストや、お手製の消しゴム印など、見ていて思わずにやけてしまう。
それが、パソコンが普及し始めると、ほとんどがプリントしたものばかりになった。表書きも印字したものになり、書いた人の字が一字もないこともある。
近年は友だちのほとんどが結婚したこともあり、送られてくるのは子供の写真をプリントしたものばかりだ。正直言ってげんなりする。知りたいのは子供の状況ではなくて、友だちそのものなのに。
引越しが終われば、みんなに新しい住所を連絡するつもり。
はじめはメールでとも思ったけれど、やっぱり葉書で知らせようと思う。
所々プリントはするだろうが、そこに手書きのメッセージを添えるのだ。うまくはないけれど、気持ちをこめた文字で、元気でいるよと伝えたい。
写真は早朝の新宿アルタ前。人影がない。こんなときでさえ、いまここで撮影できたら楽しいのに、なんて思う。
こっちへ来て初の朝帰り。
始発近くの列車で座るひとたちは、みな一様に眠りこけている。他人に囲まれたなかで、なぜこんなにも無防備でいられるのか不思議だ。
安全であるということは、緊張感がないということなのか。
家に着くまでのすべての色が白ずんでいた。
この数ヶ月間で知った気になっていたのは、どれほどのものだったのだろう。あの通りも、あそこのお店や書店も、そして関わってきた人たちも。
わたしは独りになるのが好きだ。
でも独りになってしまうのは怖い。だれだってそうでしょう?
たくさんの誰かの大切な人たちが消えていく。街の明かりのように。
けれどもう灯ることはないのだ。
一瞬でも早く露呈してしまいたいわたしが
一生隠しておきたいあなたのそばにいる
小さな風でバランスを崩してしまいそうなふたりを
秘密と、それに近い嘘だけが繋いでいる
あの時わたしは、激しい雨と風にまぶたを塞がれて
正しくはない愛しかたでも
人は人と深く交わって生きていけることを知らされた
絶え間なく歩き、走る毎日
たまに現れる給水所で
孤独感と罪悪感で満たされたボトルを渡される
わたしはそれを両手で払いながら
また歩き、走っていく
目指しているのはゴールじゃなくって
ただ、立ち止まれば終わってしまうから
振り返るのがこわいから
公式の解き方に気づくように
あのひとのあのときの気持ちがわかるように
いつかだれでも気づき、知るのでしょうか
仙台に支店を出すことになった。
そこでいま、仙台で求人募集をしている。
予定人員は3名。ディレクター1名のデザイナー2名。
デザイナーは派遣社員、ディレクターは正社員とする予定なので、ディレクターには必然的に管理者としての要素も必要となる。
もし仮に、適材なディレクターの応募がなかった場合、または、ディレクターとして雇用したものの、管理者としては不向きであった場合、こちら(本社)から誰かが仙台へ転勤することになる。
その対象として白羽の矢が立っているのが、オレなのだ。
本社には十余名の社員がいるが、うまく派遣社員を管理できそうな人材は、いないに等しい。
一人いることはいるのだが、転勤なんて言語道断という人種なので、そうするとやっぱり自分しかいないことになる。
先日社長に「仙台に転勤になってもいい?」と訊かれ、「別にかまいません」と返事をした。
仙台に行きたいわけではないし、できるなら東京で働きたいが、会社のことを考えると他に選択肢はないと思ったからだ。
東京に来て、まだ1年も経っていない。
それでも、色んな人と出会えて、たくさん繋がりが出来て、だんだんと暮らしにも馴染んできたように思う。
それがまた振り出しに戻ってしまうのかと思うと、もちろん寂しいし、切ない。
何よりも、妹とそう頻繁には会えなくなってしまうのが、いちばん辛い。
東京か、仙台か。
年内には行く末が決まる。
珍しく、最近夜が長い。
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